1910年に美術学校を卒業し帝国劇場で舞台芸術の仕事に関わった後、夏目漱石から漫画の腕を買われて1912年に朝日新聞社に紹介されて入社し、漫画記者となる。朝日新聞を中心に新聞や雑誌で漫画に解説文を添えた漫画漫文という独自のスタイルを築き、大正から昭和戦前にかけて一時代を画し、美術学校時代の同級である読売新聞社の近藤浩一路とともに「一平・浩一路時代」と評された。1929年~1932年にかけてヨーロッパを旅して漫画漫文集「世界漫遊」をものした。また「一平塾」という漫画家養成の私塾を主宰、近藤日出造・杉浦幸雄・清水崑らを育てた。
後年は小説にも進出。「刀を抜いて」は映画化・舞台化が実現した。
映画は1929年から戦前3度、戦後も1963年マキノ雅弘監督・坂本九主演で東映が配給。
舞台については宝塚歌劇団が舞台化したものが著名。詳細は公演記録の項目を参照されたい。
私生活では前述・大貫(岡本かの子)と初婚、長男の太郎ら3人(次男・長女は夭折)の子をもうけたが、かの子が不倫を繰り返し、果ては不倫相手の医師を家族と同居させる”奇妙な夫婦生活”を送り、歌人から仏教研究家・小説家に転身したかの子をサポートし、画家を志望していた太郎を応援。1939年2月のかの子急病死まで変わらぬ夫婦生活をまっとうした。
かの子の死後2年経った1941年1月、一般人の山本八重子と再婚。太郎とは異母兄弟にあたる4人の子、いづみ(二女)・和光(三男)・おとは(三女)・みやこ(四女)を授かるが、戦中は言論・表現の統制、戦後は漫画・小説の流行の変化の波にのれず不遇だった。1948年、脳内出血で逝去。
俳優の池部良は甥である。
詞家としても活動し、1940年(昭和15年)発売の「隣組」は戦時下にも関わらず、ユーモアのある歌詞で親しまれた。
1929年に全国高等学校野球選手権大会の取材で阪神甲子園球場に来ていた一平は、この年大幅に増築されたスタンドが観客の着衣で白く映え上がって見えたことを、一緒に観戦していた息子の太郎が「わあ、凄い。まるでアルプスみたいだね。」と発した言葉からインスピレーションを受け、「ソノスタンドハマタ素敵ニ高ク見エル、アルプススタンドダ、上ノ方ニハ万年雪ガアリサウダ」とイラストつきで朝日新聞に発表。このことから「アルプススタンド」と呼ばれるようになった。
杉浦幸雄
清水崑
宮尾しげを
矢崎茂四
小山内宏
旭正秀
「一平かの子 心に生きる凄い父母」 岡本太郎、 1996年 チクマ秀版社
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