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大谷光演

 

1875年(明治8年)227 -1943年(昭和18年)26日)

幼名 光養麿

大谷光演(おおたに こうえん)は、明治から大正時代にかけての浄土真宗の僧。法名は「彰如」(しょうにょ)。東本願寺第二十三代法主[1] 。真宗大谷派管長。俳人。伯爵。

 

妻は、三条実美の三女・章子。

1900年まで南条文雄・村上専精・井上円了らについて修学。また幸野楳嶺や竹内栖鳳に日本画を学び、さらに正岡子規の影響を受け、『ホトトギス』誌にて河東碧梧桐、高浜虚子らに選評してもらい、彼らに傾倒して師と仰いだ。後に『ホトトギス』誌の影響から脱し独自の道を歩む。生涯に多くの俳句(約2万句)を残し、文化人としての才能を発揮、日本俳壇界に独自の境地を開いた。「句仏上人」(「句を以って仏徳を讃嘆す」の意)として親しまれる。

1901年に札幌で宗教系の学校が北星女子学校しか無い事を知り仏教系の女子学校を思い立つが、資金調達に難航し1902年(明治35年)に北海道庁立札幌高等女学校を開設するには至らなかったが、4年後の19064月に北海女学校を開校に漕ぎつけた。


本山は「本願寺」が正式名称だが、「西本願寺」との区別の便宜上、「東本願寺」と表記。

生涯

1875年(明治8年)227日、 東本願寺第二十二代法主 現如の次男として誕生。

1885年(明治18年)、得度。

1900年(明治33年)5月仏骨奉迎正使としてタイを訪問

1901年(明治34年)真宗大谷派副管長

1906年(明治39年)札幌で仏教主義の女子学校として北海女学校を開校。

1908年(明治41年)11月、退隠した父・光瑩より第二十三代法主を継承し、真宗大谷派管長となる。

1911年(明治44年)、宗祖親鸞聖人六百五十回御遠忌法要を厳修。

1925年(大正14年)、朝鮮半島における鉱山事業の失敗から、東本願寺の財政を混乱させ引責・退隠し、長男の闡如に法主を譲る。

1943年(昭和18年)26日、68歳にて示寂。

著書

『俳諧歳時記 新年』共著、改造社、1948年。

『我は我』書物展望社、1938年。

『夢の跡』政経書院、1935年。

『この大災に遇うて』中外出版、1923年。

『法悦の一境』内田疎天編広文堂、1920年。

安部自得編『句仏上人俳句頂戴鈔』、法藏館、1910年。

『自然のままに』真宗大谷派宗務所出版部、1992年。

関連項目

大谷光演(彰如)

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